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2020年7月28日

舞台板の厚さ

能舞台では、一般的には地謡座の正面側ワキ柱の外側には框を作らず、使用している板の側面・厚さを見られるようにしています。
喜多能楽堂も写真のように見ることができます。

 

今の板は平成19年に張り替えた板です。

かなり寝かせた板が手に入ったので10年以上たった今でも狂いが無く、隙間が空くこともありません。そのために、逆に板の軋みが未だに気になることがあります。
他の舞台へ行かれたときにも、板の様子を見比べて見られてはいかがでしょうか。

2020年7月17日

喜多能楽堂、再開しました!

 緊急事態宣言を受けて、3ヶ月以上休館となっておりましたが、おかげさまで7月11日、ようやく舞台が動き出しました。

 本日から数回にわたり、喜多能楽堂をご紹介します。

第1回目「喜多能楽堂のはじまり」

 明治25年喜多流能楽会(のち喜多会と改称)結成後、大山巌邸舞台の払い下げを受け、明治26年飯田町に喜多舞台(鏡板揮毫川辺御楯画伯)を建設したのがはじまりです。
 大正12年の関東大震災により舞台は焼失しましたが、昭和2年、侯爵浅野家別邸能舞台の寄贈を受け、東京・四谷に新たに喜多能楽堂(鏡板揮毫熊谷直彦画伯)を建設。その後昭和20年の東京大空襲で再び焼失しました。
 戦後の混乱期を乗り越え、昭和30年には現在(東京・品川区上大崎)の地に喜多能楽堂(鏡板揮毫 江崎孝坪画伯、前田青邨画伯監修)を再建しました。
 武家政治崩壊後、退潮の兆しを見せていた能楽界の復興に大きく貢献し、また絢爛にして変幻な芸風で大衆を魅了した故十四世喜多六平太の功績を記念し、昭和46年、舞台の維持と後継者の養成・公演事業の展開等を目的として財団が設立されました。
 これを契機に昭和48年に能楽堂を改築し、平成8年には見所の一部改修、また平成19年には舞台の若返りとして床板の張り替え工事を行いました。
 平成23年4月、内閣総理大臣より公益財団法人の認定を受け「公益財団法人 十四世六平太記念財団(こうえきざいだんほうじん じゅうよんせいろっぺいたきねんざいだん)」と名称変更をいたし、現在に至っています。

2020年6月30日

昨日は「稽古能」を実施しました。

十四世六平太記念財団では能楽の伝承者養成事業として、喜多流職分会と共催で「稽古能」を実施しています。

「稽古能」とは非公開で、次代を担う能楽師に少し難しい課題を与え経験をさせる場です。

昨日は今年度第1回が実施されました。

本来ならば4月にも予定されていたのですが、緊急事態宣言により延期されています。

 

昨日の番組は

 

能「猩々乱」谷友矩

舞囃子「芦刈」狩野祐一

能「富士太鼓」高林昌司

 

それぞれの課題を克服し、成長して行ってほしいものです。

 

写真は「富士太鼓」に使用しました「鳥兜」です。