平成23年4月に内閣総理大臣より公益財団法人の認定を受け、
「公益財団法人 十四世六平太記念財団(こうえきざいだんほうじん じゅうよんせいろっぺいたきねんざいだん)」と名称変更をいたしました。
財団は十四世喜多六平太の功績を記念して、昭和46年に十四世喜多六平太記念能楽堂(喜多能楽堂)内に設立されました。
当財団は運営目的を達成する為に、以下の事業を行っております。
- ① 十四世喜多六平太記念能楽堂(喜多能楽堂)の維持運営
- ② 演能会、研究会等の開催および援助
- ③ 能楽伝承者の養成および助成
- ④ 能楽の普及
- ⑤ 十四世喜多六平太の有形・無形の遺品および関連資料の保存と収集
- ⑥ 能楽に関する調査研究および資料収集とその提供
- ⑦ 能楽に関する出版物の刊行
- ⑧ その他の事業に付随する事業
公益財団法人十四世六平太記念財団 理事長より皆様へ
公益財団法人 十四世六平太記念財団は、昭和30年に再建された十四世喜多六平太記念能楽堂(喜多能楽堂)の維持運営、能楽伝承者の養成および公演事業の展開を目的に設立されました。 言うまでもなく能は日本の伝統芸能であり、最高峰に位置づけられます。 現代においてもその人気は根強く、国境を越え多くの理解者に支えられております。しかし近年の少子化によって後継者や、習い事としての流友の方々の減少は進み、長期的には課題も多いのも事実です。 そもそも私は、幼少期を海外で過ごし、能楽に触れる機会も少ない環境に育ち、また年齢的にも未熟でございます。そんな私が理事長に請われた理由には、喜多流の新たなチャレンジに対する強い決意。すなわち、新しい時代にどの様に能を伝承・普及して行くかをこれまでとは違う視点で見つめるということだと思っております。 これまで諸先輩方が継承されてきた偉大なる伝統の延長線上に、観光立国として海外への訴求、若い世代への新しい手法での発信・認知度向上、未来を担う継承者が能の世界に入ってくることを奨励、促進するための工夫といった新たな試みを加え、更なる能の発展に少しでも寄与できればと思っております。 つきましては皆様の一層のご理解と、ご支援を賜りたく御願いいたします。公益財団法人十四世六平太記念財団 理事長 近衞忠大
喜多能楽堂と財団の沿革
明治25年喜多流能楽会(のち喜多会と改称)結成後、大山巌邸舞台の払い下げを受け、明治26年飯田町に喜多舞台(鏡板揮毫川辺御楯画伯)を建設したのがはじまりです。 大正12年の関東大震災により舞台は焼失しましたが、昭和2年侯爵浅野家別邸能舞台の寄贈を受け、四谷に新たに喜多能楽堂(鏡板揮毫熊谷直彦画伯)を建設しました。しかし、昭和20年の東京大空襲で再び焼失しました。 その後戦後の混乱期を乗り越え、昭和30年には現在の地に十四世喜多六平太記念能楽堂(喜多能楽堂 鏡板揮毫 江崎孝坪画伯、前田青邨画伯監修)を再建しました。 昭和46年には、武家政治崩壊後、退潮の兆しを見せていた能楽界の復興に大きく貢献し、また絢爛にして変幻な芸風で大衆を魅了した故十四世喜多六平太の功績を記念し、舞台の維持と後継者の養成、公演事業の展開等を目的として財団が設立されました。 これを契機に昭和48年に能楽堂を改築し、平成8年には見所の一部を改修、また平成19年に舞台の若返りとして床板の張り替え工事を行い、現在に至っています。財務諸表
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